割烹梅屋敷

◆所在地/会津若松市栄町8-47
●建築物等の概要
●所有者
●建築年 明治初期
●構造 木造(一部土蔵造)
●階数 1一部2 (土蔵)
●設計 不明
●施工 不明

●街なみ・建築物等の由来

 当該地は、市役所前を通り栄町郵便局に至る旧五之丁の東側起点近くにあり、武家屋敷の並ぶ若松城下の六日町
口近くに位置していた。当時は道幅が14mもあり、道路の北側を流れていた川筋(車川と呼ばれていた)が、現在
も門と板塀の前にその面影を残している。建物は、明治初年に若松城の解体材を使用し建築され、弁護士をしておられた方の住宅として使用されていた。この屋敷を借り受け、昭和3年に初代の小梅が割烹を開業、梅屋敷と呼ば
現在に至っている。

■街なみ・建築物の特徴

 板塀と当時の堀割が他の建物(石材店と居酒屋)の陰になってしまっているが、現在も往時の面影を残しており、門・玄関廻りのデザインと共に『歴史の街づくり』に活かしたい景観である。
 屋根と屋切りの木組に、町中の住宅ではあるが築造当時の民家の様子が感じられる。玄関脇の大広間は当初、床の間と半間幅の縁側で三方を囲んだ20畳の部屋のみであり、広縁・舞台と56畳の大広間・便所等は、武家屋敷時代から残る庭園跡に増築された物である。この増築時に、当初からの20畳の座敷が天井や縁側の柱と共に広問の中にそのまま残されており、大広間の中の別空間を形成していて面白い。この20畳の座敷が、割烹開業以前の建築かどうかは不明であるが、玄関から客問・厨房・蔵座敷と続く部分は、当初からの建物をそのまま利用した部分であり、随所に残る往時の知識人の住まいといった風情が、割烹の粋を演出している感がある。
 浴室の折上げ格天井や羽目板などの細かい造りは、会食前に入浴する上客のために趣向を凝らしてこしらえた物で、旧陸軍の迎隊長や将校たちが主に利用したという。梅の形の湯気抜き孔にこだわりが感じられる。

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