福西本店

所在地/会津若松市中町4-16
● 建築物等の概要
● 所有者 福西伊兵衛
● 建築年 大正3年
● 構造 木造2階建
● 設計 不明
● 施工 山岸清助

■街なみ ・建築物等の由来

 祖先は奈良県磯城郡唐院で庄屋をしていた。4人の息子に福東、福西、福南、福北の姓を授け、福西姓を受けた祖先が、堺の商人藤井家の番頭格で、蒲生氏の時代に若松に入ったのを起源とする。
 現在の当主は12代目で、綿・糸を商んできたが当初は鉄、砂糖、みそ、しょうゆ、漆器等、数多く手がけていたそうである。
8代目の時に現在の基礎を築き、9代目はその多くの商売を分家に分け与えた。一方で会津銀行、電力会社等を興した。また会津機業を設立し、塩川工場では会津木綿、若松工場でぱ怪目双重を生産していた。

黒漆喰の店蔵が建てられた大正初期には7世帯が同居し、使用人等も多く、食事どきは50名程の人数が揃い、通りから伺う様子は活気に満ちていたという。また、敷地は野口英世が書生をしていた会陽医院と接し、野口青年の歌う声が聞こえてきたという。あまり上手ではなかったらしい。
敷地の奥にある炭蔵の壁には、戊辰の役の折土佐藩士が描いた噴火前の磐梯山の絵と落書が残されている。

■街なみ・建築物の特徴

若松では珍しい黒漆喰塗りの袖蔵をもつ平入りの店蔵である。外観は塗り籠められた出桁、垂木、深い軒をもつ重厚な建物である。
内部は丹念に造作された階段や、2階洋間の仕上の良さ等、細々に至るまで秀逸である。
また、戦時中の供出により、窓の鉄格子が木の格子に入れ替えられ、現在に至っている。時代の証言者として貴重に思える。
調査中、南側倉庫蔵を大々的に改修し、日本風ブロイハウス ・会津料理の店としてオー プンした。市民や観光客に親しまれ、野口英世青春通りの新たな名所になってきた。アプロ ー チおよび駐車場側の外壁もきれいにし、隣の会津壱番館とも連なり、街並み景観的にも良い事例となっている。

PAGE TOP